と、よく聞かれるので、お答えします。

 

誓教寺は浄土真宗です。

が、本願寺派(西本願寺)ではありません。

単立の浄土真宗です。

 

誓教寺は浄土真宗です。

 1562年の創立以来、ずっと西本願寺の浄土真宗で法灯を継いできました。

 江戸時代以前は地方寺院の設立規定はそれほど厳しくありませんでした。信者と僧侶で何とか維持できれば、掘立小屋のような寺でも勝手に運営すればよし、という程度のものだったようです。良く言えば現代の単立寺院のような、悪く言えば一代限りで消えかねない泡沫のような寺院形態が多かったようです。公式記録としては寺院数に入っていないかもしれません。誓教寺も、そのような寺の一つとして始まりました。

 時が過ぎ江戸時代になると、幕府は全国統一に厳しく当たりました。武家の法律を定める「武家諸法度」の要領で、いろいろな分野の法律を全国一律に定めました。寺院や神社も例外ではなく、各宗派ごとに寺院の法律を定め、各宗派の本山に直接、それを徹底させました。単立寺院については、どこかの宗派の末寺に必ずならなければならないと定め、幕府が直接ではなく、本山から末寺への伝達により法律を守らせるようにしました。

 誓教寺は創立以来の自然の流れで、西本願寺の末寺になりました。現在の下松市内の真宗寺院では二番目に古い、1635年のことでした。

 時代が移り、第二次世界大戦が終わると、宗教法人法が制定され、ふたたび宗教活動を完全に自由におこなえる時代になりました。どの寺院も、それまで通りどこかの本山の末寺でいてもよいし、本山を変えてもよいし、末寺をやめて単立寺院になってもよいことになりました(明治になった時も、江戸時代よりはわずかに自由になりました)。

 

誓教寺住職は文学博士です。

 せっかく自由になったので、現住職・晃(慈照)は、江戸時代以来ずっと各宗派だけの学びと修行に限定されていた殻を破って、各宗派の大本である仏教そのものを学び修行することにしました。

 といえば聞こえはよいのですが、それは偶然の道のりでした。浄土真宗を学んでもよく分からないので少しずつ遡って学習してみた結果、大本の釈尊の教えに巡り合えたのです。

 現住職・藤本晃(慈照)は、

 最初に学習院大学哲学科で、日本思想として親鸞を学びました。よく分からないので、

 次に龍谷大学大学院仏教学専攻修士課程で、中国仏教というか漢訳経典を学びました。よく分からないので海を渡って、

 カナダのカルガリー大学大学院宗教学専攻修士課程で、インド大乗仏教の唯識思想を学びました。

 よく分からなかったのですが、そこで時間切れになりました。前住職の急病に伴い、カルガリー大学の修士課程を修了して帰国。誓教寺を継ぐことになりました。

 帰国してから三~四年後、スマナサーラ長老に出会いました。私は疑問をぶつけてみました。「私はインドの大乗仏教まで学んだのですが、仏教の論書をいろいろ学んでも、結局、悟りのことも輪廻のこともよく分かりませんね。釈尊の初期仏教に近いインド部派仏教のアビダルマ論書『倶舎論』にも、どうもはっきりと書いてあるように見えませんし」

 長老は、「惜しい、もうチョイ遡ればよかったのに」とはおっしゃらずに、

 「そんなことありませんよ。釈尊のお経(パーリ語の初期仏教経典)には、輪廻のことも輪廻から解脱する道も、あふれるほど説かれていますよ」と教えてくださいました。

 灯台下暗しです。「道徳だけで堅苦しくてつまらない」と思い込んでいた釈尊ご自身の説法・初期仏教経典が、功徳廻向から業報輪廻から悟りまで、すべてを解き明かしていたのです。

 「パーリ語原典で釈尊のお経を学びたい。しかし学問の現場を離れた今、一人でできるだろうか」と不安になっていたところに、広島大学の教授(当時)から、甘い言葉で誘っていただきました。「君がカルガリー大学に提出した修士論文を読んだよ。うちの博士課程に入学してきちんと博論を書いて博士号を取りなさい。君ならできるよ」と、ふたたび学問の道に導いてくださったのです。

 ま、甘いのは入学するまでで、授業が始まるや否や、お約束通り、イヤというほど絞られましたよ。しかし本当に怖かったのは、ある日の授業でのことでした。たまたま訪れていた卒業生がその授業を見て、「K教授、丸くなったな。学生にこんなにやさしく指導してるなんて信じられん」とびっくりしていたのです。それを聞いて私は心底ゾッとしましたぜ。

 それはともかく、広島大学大学院インド哲学専攻博士課程で論文を提出して、無事、文学博士になることができました。しかし何よりも嬉しかったのは、釈尊のお経をじかに学んだことで、仏教をやっと理解することができたことです。やっと、「よく分からない」がなくなりました。

 

誓教寺は本願寺派(西本願寺)ではありません。

 そうして浄土真宗とその大本である仏教を共に学び修行していたのですが、ある日、近隣の浄土真宗寺院の一部から、「浄土真宗の寺院では浄土真宗しかやってはいけない。釈尊の仏教もダメです」と、わけの分からないことを言われて、仏教の大きな世界も学問の厳密な世界も理解してもらえないので、本願寺派を離れることにしました。誓教寺は、単立の宗教法人(寺院)になったのです。

 江戸時代なら、「西本願寺の末寺をやめる」ということになるのでしょう。現代の法律に沿った言い方では、「浄土真宗本願寺派」との包括被包括関係をやめる、ということです。

 じつは、(西)本願寺も単立宗教法人(寺院)です。その単立宗教法人・(西)本願寺を本山とし、その境内施設を優先的に使用する事務所的な宗教法人が、「浄土真宗本願寺派」です。「浄土真宗本願寺派」というのが、誓教寺と包括関係を結んでいた宗教法人の正式名称です。どの「(西)本願寺の末寺」も、正式には西本願寺の末寺ではなく、宗教法人「浄土真宗本願寺派」の一員ということなのです。

 その本願寺派との包括関係をやめたので、誓教寺は、「浄土真宗本願寺派」の寺院ではなくなりました。

 

誓教寺は浄土真宗の単立宗教法人です。

 しかし、「誓教寺は浄土真宗の寺院」なのです。変でしょうか。いいえ、これは単に法律の問題なのです。

 浄土真宗という名称は一般用語で、誰かの登録商標ではありません。誰でも使えます。そして一般用語なので、今後も誰も一法人名に使用することはできないでしょう。

 その代わり、使っても法律上の効力はないのです。どこかの宗教法人の正式名称ではないので、登記など法律の役に立ちません。「宗派はどこですか?」などと問われたときに、「うちは浄土真宗です」と答えるのに便利なだけなのです。

 誓教寺は、宗教法人としての名称は「誓教寺」だけです。「浄土真宗 誓教寺」ではないのです。西本願寺も、宗教法人名は「本願寺」だけです。「浄土真宗 本願寺」とか「浄土真宗本願寺派 本願寺」ではないのです。他のどの寺院も、登記名は「〇〇寺」だけだと思います。宗派名「浄土真宗」は、法人登録には無関係なのです。法律上は寺号が分かればよいのであって、宗派など宗教上のことは国の法律に関係ないからでしょう。

 あの事務所的な宗教法人は、「浄土真宗本願寺派」といいます。これは事務上の問題で、浄土真宗の他の「派」、大谷派とか興正派などと区別する必要があり、「浄土真宗」をくっつけて長ったらしく言うのです。「本願寺派」までと八文字セットで一つの法人名です。正式名称だから仕方ありません。

 「浄土真宗」だけでは法人名にはできません。本山だけでも30以上もの宗教法人が、浄土真宗の関係法人だからです。本願寺も誓教寺も、宗教法人としては寺号だけ。「宗派は?」と聞かれたら、「浄土真宗です」と答えるのです。本願寺は「宗派は浄土真宗本願寺派です」とまで答えるかもしれません。ややこしいですね。まあ、門徒さんや有縁の人には、そのお寺がしっかりしているかどうかだけが問題で、法人登録なんかどうでもいい話だと思いますけど。

 というわけで、まとめますと、誓教寺はどこかの本山の末寺ではありません。単立というか独立した宗教法人です。宗教法人名は「誓教寺」です。そして、誓教寺の宗派は、浄土真宗です。でも、「浄土真宗本願寺派」ではありません。

 従来の「浄土真宗だけ」がよければ、そんな寺はたくさんあります。どこでも訪ねてみてください。

 「仏教としての浄土真宗」に興味がわいたら、浄土真宗誓教寺を訪ねてみてください。きっと、大きな世界に触れることができます。

 

誓教寺第16代住職 藤本晃(慈照) 博士(文学・広島大学)