お寺が宗派を離れて単立寺院になったり、最初から単立で設立する例があります。最近、そういうケースが多くなっているようです。

 地域に根を下ろすお寺が、これまた伝統ある日本の宗派に属さない事情は様々あると思います。

じつは誓教寺も、つい最近、浄土真宗本願寺派(西本願寺)を離れて単立寺院になりました。誓教寺の場合は、浄土真宗だけでなく、「せっかくお釈迦さまが伝えてくださった仏教なのだから、そこに根差した『仏教としての浄土真宗』で行こう」ということでした。

  各宗派の特色を出すのも悪くありませんが、何よりもその前に、「すべての宗派が、2600年前のお釈迦さまの悟りの智慧に始まった兄弟じゃないか」というところから始めようと思ったのです。

幸か不幸か、現代の日本では、かつての仏教国の面影は影も形もありません。お寺は、他宗派に先んじて自分の宗派を宣伝するどころか、まず、「そもそも仏教ってなに?」ってところから伝えないと、人々には通じなくなっているのです。

 一方では、日本伝統の宗派仏教に飽き足らない人々が、自分であれこれ探して勉強しているようです。そして、「なんだ、スリランカや東南アジアのテーラワーダ仏教(上座仏教、小乗仏教)がお釈迦様以来の伝統をよく伝えていて、生き生きと面白いじゃないか。これを日本でもやれないものか」と、考えている志ある人々も多いようです。


 それならば、日本伝統の仏教の寺院やお坊さんで伝統の宗派だけでは物足りない人々や、既存のお寺に飽き足らず、仏教をしっかり身につけたいと考える人々が、一人ずつで歩むのはなかなか大変ですから、寄り合って、お互いに力になり、支え合っていけば、楽で、楽しくて、うまく行くのではないでしょうか。


 たとえば、お葬式や法事などで、各宗派のやり方だけでなく、テーラワーダ仏教国のやり方に習って、仏教本来のというか、各宗派に通じるもともとのやり方でお勤めするのはいかがでしょうか。

 一族みんな浄土真宗の熱心な門徒なら、その一人のお葬式のときに「おじいちゃんはお浄土に還られました」と言ってもいいのですが、実際には、親族が集まれば、宗派はバラバラ、宗派への関心も濃かったり薄かったり、温度差があり過ぎです。

 そういう時は、仏教共通の、当たり前の、でもふだんは忘れている重要な教えが効きます。

「人は皆死ぬ。死ぬ時は親でも兄弟でも誰も助けてくれない。財産も家族も捨てて(財産にも家族にも捨てられて)、一人で、どこか未知の世界に行かなければいけない。みんな死ぬのだと今から覚悟して、堂々と行こうではないか」と、はっきり言ってもらった方が有難いのではないでしょうか。テーラワーダ仏教では、お釈迦さまのその言葉をつづった短いお経『箭経』を唱えて、その上、それにもとづいて説法をして、無理やり明るく、堂々と、故人を送ります。日本でもちょっとアレンジすれば、違和感なくお勤めできると思います。 


 本気でテーラワーダ仏教で出家したい人も、まずちょっと学びたい、修行したいと思っている人も、葬儀や法事を工夫したいと思っているお寺も、そういうお寺にお願いしたいと思っている人も、まず、お互いに情報交換をしませんか。

  誓教寺宛てにおメイルでもして、お気軽にご意見やご要望をお聞かせください。